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講演録・出版記事

術後に腕がむくまない乳がん手術は可能か
―センチネルリンパ節(見張りリンパ節)生検法への期待―

この原稿は2001年2月「リンパの会」総会での講演の後、会報誌「流れ」に掲載された講演集の内容です。

乳がんの手術の際は、腋の下のリンパ節を一緒に取り除く方法(腋窩リンパ節郭清)が行われます。この方法によって腕からのリンパ流の帰り道がなくなり、腕がむくみやすくなったり(図1)、腋の下から腕にかけての感覚が麻痺する、といった術後のトラブルが起きやすくなりますが、それは、乳がんの手術を受ける以上、仕方のないことだと考えられてきました。

図1:乳がん術後のリンパ流の変化

では、これまで、そのような術後トラブルの原因になりかねないとわかっていながら、なぜ、すべての乳がん患者さんに腋窩郭清を行ってきたのでしょうか。

理由その1:乳がんは腋の下のリンパ節にもっとも転移をしやすいため、その場所をしっかり切除することが,がんの取り残しを防ぎ、局所の治療成績を向上させる方法だからです。

理由その2:乳房内にできたがんが、ほんのわずかな距離でも、腋の下という、本来がんのない場所に飛び火(転移)を起こすということは、それだけ、がんがいろいろなところに転移を起こしやすい一つの現れです。つまり、腋の下のリンパ節の転移状況を、きちんと顕微鏡で調べることは、その患者さんのがんの転移能力、つまりがんの「たちの悪さ」を把握することにつながります。転移のあるリンパ節が腋の下に何個あったかという個数そのものが、がんの生存に直接影響してきます(図2)。

図2:腋窩リンパ節の転移個数別生存率

したがって、術後に坑がん剤などの全身治療を行うかどうか、もし必要ならどのように全身治療をすべきかを決定するためには、腋の下のリンパ節への転移状況が、きわめて重要な情報源になるのです。

理由その3:現在利用できる超音波、CTなどの画像診断では、腋の下のリンパ節への転移状況を間違いなく正確に知るだけの、診断能力はありません。つまり、手術前に確実に腋の下のリンパ節への転移を把握する手段がないのが現状です。

このような理由から、術後の腕のむくみを中心とするトラブルが起こりうることを承知の上で、やむを得ず腋窩郭清を、すべての乳がん患者さんに行ってきたわけですが、ところが、乳がんが一番転移をしやすいと言いつつも、実際には4割くらいの患者さんにしか腋の下のリンパ節への転移はありません。すなわち10人の患者さんのうち6人には腋窩リンパ節転移は生じておらず(図3)、その6割もの患者さんたちにしてみれば、不必要な手術を受けたがために、将来、腕の後遺症に悩まされるわけですから、何とも乱暴な手術を受けてしまったということになります。

図3:リンパ節転移の割合

つまり、腋窩リンパ節への転移の有無を正確に調べる検査法さえあれば、必要のないリンパ節の手術を行わなくてもすむことになります。その画期的な検査法が最近になって登場してきました。

乳がんの腋窩リンパ節への転移は、がん細胞がリンパ管を通って腋の下の方向に流れ、そこにあるリンパ節に到達することで起こります。その際、がん(しこり)が比較的小さいうちには、腋の下のリンパ節へのがんの広がりには、一定のルールがあることがわかってきました。そのような、早い時期のがんの場合には、がんは、まず最初に、ある一つの特殊なリンパ節に転移し、そこから次々とそれより奥のリンパ節に飛び火して行きます。つまり腋の下のリンパ腺の中に、扇(おうぎ)の要(かなめ)とも言うべき、最初にがんの流れを受けるリンパ節があり、それを「センチネルリンパ節」と呼びます。センチネルとは「見張り役」とか「門番、歩哨」という意味で、腋窩リンパ節全体の見張り役として、腋の下全体のリンパ節の代表とも言うべきリンパ節なのです(図4)。

図4:腋の下のセンチネル(見張り)リンパ節

センチネルリンパ節を見つけることができれば、手術中にそれだけを取り出し、大至急顕微鏡の検査で、がんのあるなしを判定してもらい、そこに転移が見つかればそれより奥の他のリンパ節にも転移している可能性があるため、従来通りのリンパ節郭清を行います(図5)。

図5

がんの転移のある人には、腋窩郭清は必ず必要な手術です。一方、もし、センチネルリンパ節に転移がなければ、それより奥には転移がないはずなので、それ以上の手術は不要になり、リンパ節はそのまま残せばよいのです。つまり、こうすれば、実際には転移のない患者さんに、不必要なリンパ節郭清を行わなくてもすむわけです。

そのような、センチネルリンパ節を見つけるには、次の2つのやりかたがあります。

*色素法(図6)・・・手術直前に、しこりの真上の皮膚の下に、通常は尿などの排泄試験に使う青い色素を数ml注射します。色素は体にとって異物なので、すぐにリンパ管に取りこまれ、まず最初にセンチネルリンパ節に流れ込みます。手術中には、色素が運ばれていく細いリンパ管をたどり、青く染まったリンパ節を見つけます。

図6:色素法によるセンチネルリンパ節生検

*RI(ラジオアイソトープ)法・・・手術前にラジオアイソトープ(放射性同位元素)を含む細かな粒子を、しこりの上の皮下に注射します。その後、放射線の強さを画像に表したシンチグラフィー(図7)や、放射線の強さを音と数値で表すガンマプローブ(図8)を使い、どのリンパ節に放射線のエネルギーが集まっているかを調べます。

図7:リンパ節シンチグラフィー
図8:ガンマプローブ(ガンマ線検出器)によるセンチネルリンパ節の検索

色素法は、特別な設備も、お金もかかりませんが、青く染まった細いリンパ管を追いかけるのは、実はかなりの熟練を要します。また、そのように技術的に難しい方法であるがため、同定率(センチネルリンパ節を見つけられる確率)は約8割弱程度に留まります。、しかし、色素法とRI法を組み合わせて行うと、リンパ節の映った画面や、放射線のエネルギーを数値で確認しながらセンチネルリンパ節を見つけるわけですから、手技的にはきわめて、簡便であり、かつ同定率は98%と高く、つまりほとんどの患者さんで正しい見張り役のリンパ節が見つけられる、ひいては安心して腋の下の手術を省略することができることになります。

しかしながら、このような規則的ながんの流れは、がんが小さいうちに限られます。つまり、がんのしこりが大きくなると、具体的には3cmを越えるような場合には、がんから流れ出るリンパの流れが複雑になり、必ずしも正しい見張りリンパ節が、規則正しく存在するというわけにはいきません。信頼できる結果で、安心して腋窩リンパ節の手術を省略できるのは2cmあるいは3cmまでのがんの場合です。こうした制限があるにせよ、早い時期に乳がんを発見できた場合には、この新しい手術法によって、患者さんにとって大きなメリットがあることには疑いはありません。

このように、センチネルリンパ節を見つける方法で、腋窩郭清をやるやらないを決定するとすると、一体どのくらいの数の乳がん患者さんが、不必要な腋窩リンパ節郭清を受けなくてもすむようになるのでしょうか試算してみましょう。

まず、がんの大きさが2cm以下の人にこのやり方を行うとすると、乳がんの患者さん全体の中で2cm以下のがんの人は40%、そのうち、腋窩リンパ節に転移のない患者さんは67%います。センチネルリンパ節が検査で見つけられる同定率を95%とし、さらに取り出したリンパ節が正しく腋の下のリンパ節転移状況を反映している確率(正診率)を95%と考えると、これらのすべての掛け合わせによって、乳がんの手術を受ける患者さんの約25%が、腋窩リンパ節郭清の手術を受けなくてもすむことになります。同じように、がんの大きさが3cm以下の患者さんまでに、このやり方を応用するとすれば、それぞれの確率は微妙に異なってきますが、結果的に、全体の乳がん患者さんの約29%、つまり3割の患者さんは、腋の下の手術を受けなくてもすみます。

大ざっぱに言えば、乳がんの手術を受ける患者さんの3から4人に一人は、もう、術後の腕のトラブルの心配をしなくてすむことになるのです。

腋窩リンパ節郭清を行わずにすめば、腕のトラブルが起こらないのはもちろん、手術による侵襲も少ないため、入院も短くてすみます。これまで、ふつうに腋窩リンパ節の郭清手術を行うと、手術後しばらくは、腋の下に貯まるリンパ液(体液)を体の外に排出するために、ドレーンという管を留置する必要がありました。その液の量は、術後、日に日に減ってきますが、約1週間はドレーンが入っているため、それが術後の入院を余儀なくされる期間でありました。センチネルの方法で腋窩リンパ節郭清手術を行わなければ、腋の下をいじらないわけですから、もちろんドレーンを入れる必要がないため、術後、翌日以降、早期に退院が可能なのです。もし全身麻酔の管理体制がより充実すれば、朝一番に手術、夕方にはしっかり麻酔も覚めて、日帰りの手術でも対応できてしまいます。確実な乳がん手術が、入院もしない日帰りですんでしまうのです。

現在は、このようなセンチネルリンパ節のやり方で、乳がんの手術を行っている医療機関はまだ多くありません。その理由は、とても新しいやり方なので、従来の手術法と同じだけの治療成績が保証されるのかどうかという臨床試験の結果が、まだ欧米でも出されていないこと、さらに、放射線同位元素を院内の多くの部署で扱うことの意見調整が必要なこと、もちろん高価な機械を必要としますし、当然のことながら、健康保険も適用されていないため、施設が限られてしまうこと、など多くのハードルが考えられます。

しかし、日本の乳がん医療の現状では、これらはとても大きな壁かもしれませんが、欧米の臨床試験の進捗状況を見れば、センチネル法は早期の乳がん患者さんに対する標準的治療として、数年後にまず間違いなく評価されるでしょうし、その結果を踏まえれば、このやり方は保険診療の一部として、正式に日本の乳がん患者さんたちにも、安心してお受けていただけることになるでしょう。

乳房を全部取らずに乳がんを治す、乳房温存手術が、新しい乳がん治療として紹介されてから、10年足らずで、すでに、早期の乳がんの標準治療として、定着してきました。無駄に切らない、不必要な手術はしない、がんの治療で、「メス:外科医」が主役であった時代は終わりつつあります。切らなくてすむものを切ることは、ある意味では外科医の傲慢、勉強不足にすぎません。「腋の下のリンパ節は全部取っておきました。転移は一つもなかったですよ、よかったですね」という外科医の説明に、本当に喜んでいいのでしょうか。転移がないのなら、取らなくてよかったんじゃないか?? センチネルリンパ節は、腋の下のリンパ節の見張り役をしています。しかしセンチネルリンパ節の手術を正しく理解し、不必要な切除にブレーキをかけ、患者さんの術後のトラブルを極力回避してあげられるかどうか、「センチネルの手術」は、今後の、良識ある正しい乳がん医療の「見張り役」になるに違いありません。