医語よろしく
2002年7月〜9月
2002.8.9
 大先生の退職・・・
千葉県がんセンターに、「本田一郎先生」という僕が大好きな大先生がおられました。おられましたと過去形に書いたのは、この7月8月を持って、約30年勤められたがんセンターを(千葉県がんセンターは1973開設、その準備室の時からのおつとめだそうです)退職されたからです。僕はいつも本田さんとお呼びするので、このHPでもご容赦下さい。

誰よりも患者さんを愛し、逆に多くの患者さんにも愛された、クマさん・・・先生です。「ばあさん!なんでくっだよ(来るんだよ!の八日市場近辺の方言)もう手術で元気になっただから、来なくていいっつたべよ!(良いって言ったろうの意)」と消化器外科外来で大声で外来患者さんの相手をする姿が、もう見られなくなる・・・別に言い方がこんなだけであって、悪気もないし、波調があうおばさまおじさま達とは、これでいて絶妙の医師―患者間の信頼関係を構築している。言われたばあさんも、「あん先生は(あの先生はの意)、まあ口が悪いだけんよ、でもあん先生の顔見ネエと安心出来ネエだよ、」 といいながら、また来月・・・また来て・・大声で「またきただかよ!?ばあさん!」の言葉を、お守りに、元気に帰っていく。「口は悪いが目がやさしいし、根は最高に優しいし、実は寂しがり屋で照れ屋。基本的には患者さん大好き、それが分かるから患者さんも本田さんを大好き・・」だから本田さんの外来は、患者さんであふれかえっていた・・・

こんな一面で、がんセンターの先生のイメージが壊れてしまった読者の方もいるかも知れませんが、じつは、消化器外科医、イヤ、日本の胃がん外科のリーダーとして全国的にも有名な大先生。手術も大好きで、外科医としての腕も超一流。もうひとつの超一流がそのそのお人柄・・・なんです。
全然裏のない人。やなものはイヤ。誰にでもはっきり言う。(言ってた・・過去形・・かな、最近「言えなく」なった。だからそれがおやめになった原因??)
声もでかい。本田さんの病棟回診中の声は、5階西の病棟に響き渡るので、消化器外科のにぎやかさと正反対の、おしとやかで上品な僕ら乳腺外科の病棟回診は、あの大声に圧倒されないように逆回りの部屋の順。

センター中の人気モンである。センターの職員で、本田さんと「飲んだ事」のないスタッフがいるだろうか?特に、女の子は大好きなので、看護婦さん(今は看護師といわなくてはならないらしい)など若い女性スタッフはすべて本田さんの頭の中のリストに登録されている??とにかくビールが大好き・・・「俺がもし万一食道がんになったら、腹と胸の中でどこをどのようにつないでも良いから、あのビールの喉越しだけは感じるようにやってくれ・・・」っていつも言ってたな。でもあの体型で、2年前は腹の上に組んだ両手がおけるくらい、お腹でっぱってたけど、最近は手を置くところがないくらい痩せてきてきて、でもそれは、術後ビールの喉越しを心配した食道がんになったわけではけっしてなく、単なる心労のため・・・らしい・・・。
僕がセンターにいるときに、本田さんとビールを飲むと、いつも同じ話題で盛り上がっていた。このままじゃ先生、ここは仁戸名休暇村付属病院になっちゃうよ。第一「県」の中央病院化構想(今ある県立病院を統合してひとつ新しい総合病院を作る、赤字対策のひとつで、役に立ってない県立病院はこんなにいくつもイラン・・・っていう構想)に一旦「がんセンター」がリストアップされたんだって??患者さんであふれかえっている科は、ほんの少しだろ、先生とこと、うちとあと00科と、そんなモンだろ、あとはみんなな〜〜んにも仕事してないじゃん、待合いに患者なんかいねえだろ。がんセンターとしての自覚がないんだよ。だから外から見たら、がんセンターとは名ばかりで評価は一般病院と一緒だよ。だから、他の病院と一緒にガラガラポンって新しい病院構想に入れられちゃうような、そんな評価しかされてないんだから・・)
本田さんとの酒の肴は、いつも「休暇村付属病院」と「ガラガラポン」であった。

それほどまでの人気者、がんセンターの中心的存在であった(おやめになるときは、センター本部の中枢である、診療部長でおられた)本田さんが、なぜ辞めることになったか・・・
本田さんは、一切の送別会や壮行会の申し出を断った。送別会やってくれるな!!って。 「俺は辞めたくて辞める訳じゃない。何かを伝えたいから辞めるんだ!!送別会なしに・・・」しかも、まだ辞めてからどのような仕事をするかも決めておられないと聞く。
まあ、本田さんがおやめになった原因は、僕はうすうすわかっています。し、本田さんの良き理解者である、本田さんを大好きな多くのがんセンタースタッフは、みんな知っています。ここで書け!って??・・・・やめましょう。あほくさい!!

ただ、10年間おつき合いして、僕も大好きだった本田さんが、昨年僕がセンターを辞めるときの「送別会」の時に台の上からスピーチしてくれた言葉を、今ここに書いてみましょう。そして、その言葉をそっくりそのまま、送別会を拒否した本田さんに、送別の言葉として送ろうと思います。が、みなさんは、僕が書きたいけど書かない、「本田星(ぼし)」がそこで輝くことをやめにした理由を、お察し下さい。

「宮内君は、このがんセンターで、客(患者さん)を呼べる、数少ない医者の一人でした。これから公立病院だからといって、好きかってやって患者さんも診ずに赤字を増やしていって良いはずがない。患者さんを呼べる、真の臨床医が必要だろう。学会活動も必要。中央との人脈も必要。アクテイビテイも必要。彼はそのすべてを兼ね備えているが、なにより病院に客を呼べる医者が少ないにもかかわらず、そんな彼がこのセンターを去ろうと思った真実のところを、センターはよく考えて欲しい。・・・」
本田先生、しばらく、ゆっくりされるそうですね。
またどこかで手術をバリバリやられるんでしょう。
新しい病院が決まったら、僕に「本田先生ありがとう、おめでとうございます」の会をさせてください。

本田先生、ありがとう。
みんな先生のことが、大好きです・・・


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