ドクターストップって医者の仕事か?を読んで・・その2
私は、ドクターストップと聞いて、咄嗟に『ボクシングで負傷の激しい選手に、試合中止を言い渡すこと』を、思い浮かべました。診察中に、お医者様がおっしゃる食事の指示や、生活への制限を、特にドクタースットップと言う認識は、ほとんどなかったような気がします。何故なら、患者が判断に迷うことがないよう、適切な指示を出して下さっている・・・思いやりのアドバイスと考えていましたから。
とても素直な私(笑)は、有難い忠告と受け止め、疑問を感じるなど、とんでもありません。まして「優等生の患者さん」なんて呼ばれた時は、ますます指示通りに頑張ったりして・・・もちろん、褒められたくてではなく、一日も早く治りたい、回復したいという、患者なら誰でもが願う気持ちの現れなのです。
でも、9月号のコラムを読ませていただき、私は、はたと気づきました。いつも忠実に守ってきたつもりの、そのドクターストップに、今まで少しの疑問も感じなかっただろうか?自分の気持ちを正直に問うてみたら・・・それなりに、ありました。いえ、思い返せば、たくさんあるかもしれません。
体力も回復力も気力も、まるで違う千差万別の患者に、マニュアル通り、教科書のようなドクターストップが出されれば、そりゃあ心の中では・・・「自分は、少し違うんだけど・・・、もうそろそろ止めてもらいたい・・・もっとこうしたい・・」なんて、当然感じるはず。では、どうしてそれを口に出さないかと言えば、本音でお話が出来るほど、お医者様と患者の間が対等とは思えないからです。
お医者様の話し振りや対応、一方的に聞こえてしまう専門用語や高度な説明は、時に患者を尻込みさせ、両者の間に立ちはだかる高い壁を、より堅固なものに感じさせてしまうかもしれません。
患者ひとりひとりの言葉に耳を傾け、一緒にやってみよう。いつも見守っているから・・・と仰っていただければ、(でも、そういうお医者様には、滅多にお目にかかれません!!)臆病になりがちな、弱い?立場の患者でも、自分の考えを言葉にしてみよう。信頼して相談してみようと、心身ともに気力が湧いてくるものです。不可能を可能にする力にさえなるかも・・・
そしてそれが、少し見当違いだったり、偏ったものであれば、その時こそ、手を差し延べ、暖かな心の通ったドクターストップで、私たちを導いて下さい・・・心からお願いします。
・・ KMさんより
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